PROPERTY DATA BANK TOPへ

【25周年記念対談】
創業からリーマン・ショック、株式公開、そして今
プロパティデータバンクの25年

プロパティデータバンク
代表取締役会長
板谷 敏正
慶應義塾大学大学院
経営管理研究科教授
清水 勝彦 氏

ー設立25周年を迎えたプロパティデータバンク。
その記念対談として、会長・板谷敏正と親交の深い清水勝彦氏(慶應義塾大学大学院 経営管理研究科教授)をお招きし、
板谷とともに、創業時のエピソードやこれまでの歩みを語っていただきました。

清水氏は東京大学を卒業後、ダートマス大学エイモス・タックスクールでMBAを取得。その後、テキサスA&M大学経営学博士(Ph.D.)やテキサス大学サンアントニオ校准教授(テニュア取得)を経て、2010年に現職に就任されました。企業の経営戦略とそれにともなう意思決定や戦略実行を専門とし、多くの英文学術論文や著書を出されています。経営の専門家にプロパティデータバンクの25年はどのように映るのでしょうか?

清水建設の社内ベンチャー制度を活用して設立

板谷敏正(プロパティデータバンク株式会社 代表取締役会長。以下、板谷):本日はお忙しいなかお越しいただき、ありがとうございます。

清水勝彦氏(慶應義塾大学大学院 経営管理研究科教授。以下、清水):よろしくお願いします。いま社員の数は増えているんですか?

板谷:2000年の創業以来、子会社、パートナー企業は増えていますが、社員の数はそれほど変わっていません。正社員40名、グループで80名くらいですね。

清水:約80名で売上33億円というのは生産性が高いと思いますし、それはやはり、地道に積み上げてきたものが大きいのではないかと。事業は変な自信を持って広げていくと失敗することが多いんです。チャンスがないから失敗するのではなく、逆にありすぎることで方向性が失われ、迷走してしまうんですね。

その点、御社はやらなければいけないこと、その時々に集中しなければいけないことを考え、実践してきたのかと思います。ストーリーとしてはいろいろチャレンジして成功したほうが面白いので、人によっては退屈な会社だと感じるかもしれませんが(笑)、地道な取り組みは大切です。もともとそうした大切さに気づかれていたのでしょうか?

板谷:気づいていたのではなく、いろいろなことにトライするだけの力がなかったということだと思います。ただ、私も清水さんと同じ愛知県出身です。これまで私たちの会社が地道に積み上げてこられたのだとしたら、「慎重」「堅実」という三河人の気質による部分もあったのかもしれません(笑)。

それから、当社は清水建設の社内ベンチャーとして設立されたのですが、当時の清水建設の経営陣から「富山の薬売りのようなビジネスモデルを極めるといい」と言われていました。建設会社のように請け負いで毎年売上をあげていくのではなく、お客様が使った分だけの利用料をいただいていくというモデルですね。

清水:清水建設という一流企業から飛び出すリスクを背負って設立された会社が、そうした非常に堅実な経営をしているというのは、とても興味深いことだと思います。

転機となったJ-REIT向け市場でのシェア拡大

清水:あらためて伺いますが、2000年の創業からこれまでの25年で事業の転機となったタイミングはありましたか?

板谷:それは、@propertyがJ-REIT向けの不動産クラウドとして使われるようになった時ですね。2004年頃だったと思います。不動産投資を行うアセットマネジメント(AM)会社と、AM会社が購入した物件を管理するプロパティマネジメント(PM)会社が、共に@propertyを使い始めたことで、私たちは「生き残ることができた」と感じました。

AM会社向けに特化したソフトウェアであれば、従来の業務ツールとそこまで変わらないのですが、PM会社まで一緒に使えれば、それは一種の社会システムのようなものになります。それから、PM会社が自前の業務用ソフトを使っていたり、データを個別に管理していたりするとそこで閉じてしまうのですが、@propertyの場合、私たちがデータを持っているので、パスワードを変えるだけでPM会社の切り替えにも対応できます。そういった点で業界の革命のような形になりました。

清水:J-REITのファンドがあったからこそ事業が伸びたところもあるわけですね?

板谷:そうですね。たとえば不動産デベロッパーのような事業会社では、AM的な業務とPM的な業務が1社に集約されているのですが、J-REITの場合、会計は信託銀行、物件の管理はPM会社といった形で分業化されています。そうした分業のスキームに、@propertyがぴったりとはまったということだと思います。

リーマン・ショックを生き残れた理由

清水:逆にこれまでの25年間で会社として大変だった時期はありますか?

板谷:やはり2009年のリーマンショックですね。当時は顧客のほとんどがファンドで、得意先がどんどん破綻していきました。ただ、そんな状況でも不動産はなくならないんです。物件を空き家にするわけにはいかないので、別のオーナーに引き取られたり、統合されたりしていきます。それで、私たちの会社も売上の伸びこそ止まったものの、生き残ることができました。

清水:サービスが不動産に紐づいていたから良かった。もしビジネスに紐づいていたら…

板谷:AM会社に特化したサービスであれば、AM会社が破綻すると同時に終わっていたでしょうね。おっしゃるとおり不動産に紐づき、一種の社会システムのようなものになっていたから良かったのだと思います。その後はファンドだけでなく、デベロッパーや電鉄会社、電力会社のお客様も増えてきました。

たとえば電力会社の場合はグループ傘下の不動産デベロッパー、あるいは電力会社本体の設備管理用ソフトウェアとして、発電所や変電所のメンテナンスにご利用いただいています。当初のJ-REIT1本からお客様の幅を広げていくことができました。

インターネット回線の進化と@propertyの設計思想

清水:少し話は戻りますが、御社は創業当初からJ-REIT市場をターゲットにしていたのですか?

板谷:そうですね。J-REITのファンドはみんな上場していて、会計もある意味でわかりやすいというか、金融庁の監査のもと、きちんとデータベースで処理するよう指導されていました。書き写しが出る紙のやりとりは一切許されないんです。そのJ-REITが2001年から始まるので、先ほど話したような分業制のもとでデータ管理が必要になると清水建設の役員会で説得しました。

そうして創業し、2000年の終わり頃に@propertyの提供を始めたのですが、当時のインターネット回線はISDNで、ソフトが動かなかったんです(笑)。困っていたところ、2001年頃から大手通信会社がADSLのモデムを無料配布するようになりました。それでやっと動くようになり、その後、光回線へシフトしていきました。いま振り返れば、あの無料配布が「神風」だったように思います。無料配布がなければ、おそらく創業から2〜3年でサービスが終わっていたでしょう。

清水:その当時、僕はアメリカにいたのですが、現地でも新しい回線契約を結ぶと通信会社が300ドルをプレゼントしていたのを覚えています。

板谷:当時、ネットの利用は、ほぼメールチェックだけという時代でしたよね。ただ、そうしたなかでも私と一緒に弊社を創業したメンバーは、本格的なASPを設計しようと考えていました。ホームページに毛が生えたようなものではなく、オラクルのデータベースできちんとリアルタイム処理しようと。その考え方がいま、10万棟規模の不動産管理や会計処理に対応できる@propertyの機能性につながっていると思います。

清水:もし、2000年当時のインターネット環境で稼働させ続けることを前提にリリースしたら悲惨なことになっていたでしょうね(笑)。それから、当時の通信速度と合わず、逆に過剰スペックになる可能性もあったものの、意外な「神風」によって適正なスペックとなり、サービスとして成長していったと。とても面白いストーリーだと思います。

株式公開のメリットは?

清水:その後、御社は2018年に株式を公開しました。株式公開により調達した資金はどういった用途に使ったのですか?

板谷:主にクラウドへの再投資ですね。上場と前後して大手のお客様が増え、それまで3〜4万棟だった管理棟数が一気に10万棟以上に増えました。加えて大手のお客様の物件は規模も大きいので、データの高速処理とサービスのバージョンアップが必要でした。

清水:そういう意味では株式公開して良かったと感じていますか?

板谷:良かったですね。上場していると、大手のお客様も安心してサービスを使えると思います。それから私たちはデータを預かるので、中立的な立場のほうがいいんです。親会社の方針に左右されることなく、独立した会社としてお客様と株主の方々のために頑張ることができます。

清水:上場すると、いい人材を採用しやすいという人も多いですね。

板谷:私もそうだと思います。あとはやはり、上場すると鍛えられますね。会計にしても内部統制にしても、非上場の時に比べるときちんと襟を正してやらなければならないので。ですから極端な話、資金調達をしなくても、襟を正すために上場はしておいたほうがいいのではないかと感じます。非上場にはない厳しさがあったほうが鍛えられます。